【回路】冷や汗掻きながら観たホラー映画を語ります【黒沢清/感想】

はじめに

この記事では、2001年公開の実写映画【回路】の好きなところを書いています。
ネタバレ有りなので、本編を観てから読んでください。

回路

感想

音響

数ある音の中でも、人のうめき声は最も恐怖を感じさせる音なんじゃないかと思ってるんですけど、この人のうめき声が多用されています。

それ以外に使われている音響効果も気味悪くて、これまで観てきた全ての作品の中で、最も音で恐怖を感じるのが本作です。
一方で、黒板を掻く音の様な、聞くに堪えない不快さは無いのもポイントですね。
この不快さがあると、怖い以前に聞いてられませんから。

陰と光

他の黒沢清作品もそうなんですけど、陰と光の使い方が上手いです。
基本的には陰になっているので全体的に暗くて、所々に光が当たっています。
その光にしばしば人の影が映るから、幽霊が映ったんじゃないかと思って、一瞬驚くんですよね。

同僚の家に向かうミチ

同僚の家に向かうバスのシーン。
ここはもう家に飾りたいくらい好きですね。
他に人がいなくて暗く重苦しい、まるで地獄にでも向かっているかのようです。

バスを降りてから田口の家に向かうまでのシーンも、他に人はいません。
都会育ちじゃない人なら分かると思うんですけど、人がいない町って凄く怖いんですよね。
僕は一軒家が立ち並ぶ住宅街で育ったんですけど、意外と誰とも会わなかったりするんですよ。
周りには所狭しと家が並んでるのに、だれ一人歩いてない。
そんな時、もしかして今世界に自分一人しかいないんじゃないかという不安が、少し芽生えて怖いんです。

田口について話す三人

窓越しに撮ってるのが、黒沢清を感じます。

このシーンに限った話じゃないんですけど、カメラと話してる人との距離が離れてるのに、耳元で話されているような距離感で声が流れるから、違和感があるんですよ。
この違和感も、気味悪くていい味出していると思います。

パソコンの設定をする川島

川島が、PC画面や説明書に書かれていることを、ボソボソとつぶやきながら操作するのが好きなんですよね。
僕はつぶやかないですけど、ああいう風につぶやく人いるじゃないですか。
演じてる加藤さんのつぶやき方は本当にリアルです。

同じつぶやくシーンだと、川島が大学のパソコン室を訪れるシーンで、春江にスクリーンショットの仕方を教えてもらうシーンも注目です。

スクリーンショットの仕方を教えてもらう川島

一度やり方を教えようとした春江を止めた川島は、紙とペンを用意した上で再度やり方を春江に言ってもらい、メモを取ります。
僕はこれに感動しました。

というのも、映画を観てると【誰かが言ったことを一回で覚えているシーン】をよく見かけるんですよ。
さすがにそれで「この作品はダメだ」とはなりませんが、普通そんな簡単に覚えられませんよね。
だから、川島の行動には凄くリアリティーを感じられて、感動したんです。

矢部の前に現れる女

綺麗な歩きをしている女が、急に崩れた動きを見せます。
あの独特な動きは、一度見たら忘れられません。
動きがスローになこともあって、あそこだけ空間が歪んでるように見えます。

飛び降り自殺を目撃するミチ

ミチが歩いてくるところから、飛び降りた女性が地面に落ちるまでをワンカットで描く上に、環境音だけ流しています。
この二点によって、飛び降り自殺という悲劇が日常の中で突然起きる恐怖を作り出していると思います。

女性が落ちた後、追い打ちをかけるように怖い音楽が流れたり、飛び降りようとしている女性を視聴者には気付かせて、ミチには気付かせないのも上手いですね。

怖いことが起きた後に音楽が流れるのはこのシーンだけではなくて。
田口の部屋を訪れた矢部が首を吊った田口を見るシーンも、奇妙な動きをする女のシーンも同じです。

コンビニを訪れるミチ

久々の明るい屋内でホッとさせますが、影になった店員が待っているので、結果的には視聴者を油断させるシーンになってます。
コンビニ店員が影になっていることからは、ミチの身の回りで起きていることが、社会全体で起きていると推測できますし、コンビニを出ていくときになっている警報は、事の重大さを感じさせます。

死について話す川島と春江

死んだらどうなるのだろうという疑問は、多くの人が抱いたことがあると思います。
小さい頃の春江のように、皆と楽しく暮らせると考えた人もいれば。
高校生になった春江のように、死んでもずっと一人なのではと、恐怖をいだいた人もいるでしょう。
そんな死を語る春江に対して、「やめないそういうの」と止めに入り希望を語る川島は、春江以上に死を恐れてるのかもしれません。

影になり消え去る順子

勇気付けてくれていた順子が、恐怖におびえて心身喪失している姿は、ミチにとって

ついさっきまでそこにいた人が影になって、その影がバラバラになるところは。人があっという間に死んで、その後火葬されて灰になる姿にも見えます。

誰もいないゲーセンを訪れる川島

ゲーセンは初めに出て来た時から異様ではありましたが、その時は他にも人がいたのがまだ救いでした。
しかし、二回目はもう人がいなくなってる。
それなのにゲーム機はちゃんと動いてるから、急に人が消えたことを読み取れます。

そして、そこに霊が現れる。
愉快なゲーム音楽が流れる中で、黒い霊と2人っきり。
僕なら腰抜かしますね。

自らを銃で撃つ春江

銃で首元を撃ってるわけですから普通血がたくさん出ますけど、多分全く出てないんですよね。
銃を撃たれてもちが出ないシーンは、同じ黒沢清作品の【クリーピー 偽りの隣人】でもあります。
対象年齢を上げないために出してないだけかもしれませんが、逆に気味悪くなっているとも思います。

川島が救急車を呼ぼうと電話を掛けるけど繋がらなくて、何の迷いもなく無言で携帯を投げ捨てるところも好きです。
「あーもういらね」って感じで。

開かずの間に入ってしまう川島

タンクにガソリンを入れる川島の背後には、赤いテープが貼られたドアが。
凄いですよね、ここだけ観た人は何とも思わないけど、それまでを見てきた人にとっては、恐ろしいものになる。

蓋が紅いテープが貼られた部屋に入ってしまうことで、川島も入ってしまうという流れも好きですね。

そして黒い霊が現れますが、この霊にラスボス感を感じるのは僕だけでしょうか。

川島は部屋を出ようとしますが、ドアは開かない。
そこで川島が取る【目線を霊から外して再度見る】という行動は、【そこにいたと思った幽霊が再度よく見るといない】という典型パターンを加味したものだと思います。
しかし本作は、まだそこにいる。

そこで川島がするのが、自ら幽霊に触れに行くこと。
これもそうですよね、【幽霊は触れられないものだ】と考えるのが普通ですし、図書館で川島が見た幽霊も川島が違づくと消えていました。
しかしこの幽霊は、触れられてしまうわけです。
幽霊は触れない存在という概念を覆すこのシーンは、革命と言っていいでしょう。

腰を抜かした川島に、影がゆっくり近づいてくるシーンは、ほんとに観るのやめようかと思うくらい怖かったです。
そんな経験、本作以外ではありません。

影になった川島

ミチがシミになってしまった川島を見ていますが、ミチはナレーションで「今、最後の友達と一緒に居ます。私は幸せでした」と話します。
これは、あの後ミチもシミになってしまったことを意味しているのではないかと考えています。

【最後の友達である川島と一緒にいる】のはミチもシミになったからで、【幸せでした】と過去形になっているのはもう死んでいるからではないかと。
つまり最後のナレーションは、死んだ後のミチの言葉だと思うんです。

最後に

本作は僕にとって、最も好きなホラー映画であり、最も好きな黒沢清映画です。